ペルシュロン

ペルシュロンペルシュロンは、容姿が美しく、すっきりした肢を備え、自在な歩様を示す重種で、原産地はフランス北西部のノルマンディー、ル・ペルシェの石灰岩地帯である。ブーロンネと同様、この品種は重種のなかで特に上品な馬であり、東洋原産の馬の血が多く混入している。19世紀には、専門家により「気候風土と何世紀にもわたる農作業により影響を受けたアラブ」と記述されている。彼はこの品種を高く評価しているが、東洋の馬の強い影響が認められる点には疑いの余地がない。

歴史

 732年、ポアチエでイスラム教徒を打ち破ったカール・マルテルの軍団が乗っていたのは、ペルシュロンの祖先であった。このとき、敵の乗っていたバルブもしくはアラブを戦利品として持ち帰り、それがフランスの育種家の手にわたったと考えている人もいる。
 1096〜1099年の十字軍の遠征後には東洋原産の馬が導入されており、また、1760年頃にはペルシュロンの育種家は、ル・パンの種馬牧場でアラブの種牡馬を利用することができるようになった。
 最も影響の強かったペルシュロンは、アラブとの異系交配が多く行われた系統で、ゴドルフィンとギャリポリーの2頭に代表される。ギャリポリーは、ペルシュロンの種牡馬のなかでも最も有名な1830年生まれのジャン・ル・ブランの父である。
 長い歴史のなかで、ペルシュロンは軍用、馬車用、農用、重砲兵用、そして乗用に用いられてきた。現在のペルシュロンは非常に力強く丈夫で多才である。この馬は重種のなかでも独特な気取った歩き方をする。すなわち、歩幅が広く自在で姿勢の低い歩様を示す。

牽引力
ペルシュロンは3410ポンド(1547kg)という非公式牽引記録をもっている。この品種は非常に従順で、どんな仕事もこなす。
軍馬
第一次世界大戦の際、何千頭ものペルシュロンが、米国およびカナダから戦場へと送り込まれた。英国の軍隊で犠牲になった50万頭の馬の多くは、ペルシュロンあるいはペルシュロン・タイプの馬だった。
使役馬
ペルシュロンはどんな気候条件にもたやすく順応する。この馬は米国、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、日本などのほか、フォークランド島へも輸出されている。フォークランド島では、在来のクリオージョとのあいだで交配が行われた。
頭部
ペルシュロンの頭部は美しい。額は広くて角張っており、横顔はまっすぐである。また、耳は長くてすっきりしており、眼は大きく注意深そうである。鼻梁はフラットで、鼻孔は非常に広く開帳している。

ペルシュロンのたっぷりとした尾は、馬車を引く際は通常、”ボロ用編み上げ”のようにたくし上げておく。
体高
体高は162〜170㎝までとなっているが、多くは152〜162㎝である。世界で最も大きい馬は、ドクトゥール・ル・ジェアという名のペルシュロンだった。この馬は牡で体高は210㎝、体重は3024ポンド(1372kg)あった。